女性が結婚相手に望む条件として最もシビアなのが年収。希望年収は全国平均で471万円だそうです。
しかし年収に固執するあまり、「負け犬」呼ばわりに甘んじてまで結婚を否定するのは間違っていませんか?
「負け犬」って言葉、聞いたことありますか?
皆さんは「負け犬」という言葉を聞いたことがありますか?
一般的には「喧嘩に負けた犬」という意味で、「負け犬の遠吠え」ということわざは「勝負に負けた犬は、遠くからしか吠えない」、つまり「負けた人間の捨て台詞(強がり)」みたいな意味で使うのですが、もう1つ意味があります。
それは「30歳を過ぎて独身、子なし」の女性を揶揄する言葉です。
この言葉は、アラサーの世代がちょうど10代後半~20代前半の時に出版されたエッセーが引き金となり定着しました。
2003年酒井順子著「負け犬の遠吠え」は、「30代・未婚・子なし」の女性は、どんなに美人で仕事ができても、「負け犬」として非難を浴びている方が世間とうまく付き合える、と独身30代女性の処世術を説いたものです。
当時は2001年に起きた同時多発テロやITバブルの崩壊で、低迷していた景気がほんの少しずつ回復に向かっていた頃。
厳しい労働環境や上がらない賃金に悩んでいた大人たちの中で、30代前後の独身女性たちだけが、自分のための投資を惜しまず、趣味に生き、楽しそうに生きている、それを疎ましく思う風潮があったのでしょう。
もともと「負け犬」はそんな彼女たちを守るための鎧として、エッセーでは肯定的に書かれていたのですが、今ではすっかり「結婚という勝負に負けた(かわいそうな)女性」という否定形な意味になってしまいました。
「負け犬」と言われても女性たちが結婚をためらう訳(わけ)
もちろん、当の本人に「お前は負け犬だ」と面と向かって言う人はいないでしょうが、ふと仕事の合間に、ああ、私って世間でいう負け犬だよなあ、と思ってしまうこの哀しさ。
たとえやっかみ半分でも人からそう思われていると思うと、真面目に働く気も失せ、無性に結婚したくなりますよね。
しかし、「負け犬」ブランド返上を掲げながらも、なかなか結婚しない人たちがいます。
なぜ彼女たちは「負け犬」と言う言葉に甘んじても、結婚しないのでしょうか?
まあ理由は色々とあるのでしょうが、その中に「条件を満たす相手がいない」というものがあります。
条件=「性格、容姿、学歴、年収」などですが、特に年収を条件に挙げる女性は多く、自分の年齢が上がるほど、そのこだわりが強くなる傾向にあるようです。
女性の社会進出が進んだといっても、まだまだ会社は男性社会、年収、出世において、女性は男性に太刀打ちできません。
同じ30代でも、男性の平均年収は、前半で438万、後半で499万なのに対し、女性は前半294万、後半が297万と、男性の半分程度。
しかも前半、後半での年収の開きが男性61万に対し、女性はわずか3万(H25年)。安定した生活を望む女性にとって、相手に年収を求めるのは仕方ないことなのかも知れません。
「負け犬」ブランドを捨てよう
ある調査で女性が結婚相手に望む年収は、全国平均で471万円だったそうです。経済的に不利な立場の女性が相手に年収を求める気持ちは理解できます。
しかし、年収に固執するあまり条件に満たない相手を最初から除外するなら、それは昭和以前の家同志の婚姻が主流だった頃の考えと根本は同じです。
現代の女性が結婚する意味は、心身共に安らげる場所を共につくること。男性にばかり求めるのではなく、与えることのできる女性になることが大切なのではないでしょうか。
実際、片働き(夫婦の一方だけが働く)世帯と共働き世帯の件数を比較した調査では、昭和55年では片働き世帯の半数(614万)しかなかった共働き世帯は、年々増加して、H4年にほぼ同数(約910万)、H25年には方働き世帯より320万も多い1065万世帯まで増加しています。
男性の意識も変化しています。相手に専業主婦を望む男性は今や25%程度しかいません。20代、30代の男性の4人中3人は、共に働きながら家庭を築きたいと思っているのです。
30代と言えば大人の女性、愛さえあればなんて言葉が幻想だと知った上で、じゃあ私の稼ぎも足してねと、柔軟な思考で結婚を考えてもいいのではないでしょうか?
そうすれば、意外なほどにあっさりと、「負け犬」ブランドは捨てられるかも知れません。